東日本大震災から14年。今年は現地に行けなかったので、午後2時46分には1人で黙とうした。定点取材してきた宮城県名取市の閖上や福島県いわき市はどんな様子なんだろうね。さて、3・11は「自分もゼロから…」と一念発起し、文化放送退社と大学教員への転職を決めた日でもある。

結論から言えば、「文化放送を辞めなきゃ良かった」と思ったことは1度もない。報道ワイド番組を仕切り、出演もし…という毎日は楽しく、良い仲間にも恵まれて充実していたんだけどね。

ベルリン特派員を皮切りに、東欧民主化、湾岸戦争、ユーゴ紛争、EU誕生、香港返還、米国留学や米韓の大統領選挙。国会キャップやニュースキャスターまで経験させてもらったことに感謝しつつ退社。

キャリアチェンジの時代に「現状維持」は「後退」。定年を延長してまでしがみつく生き方は自分らしくないし、それ以上に、地方の大学で若い人を育てたいという思いが強かったからね👨🏫。

ここが大学での私の研究室。移籍し1年弱が経過してもがらんとしたまま😊。今でも「夕方の情報ワイドの聴取率が在京局で最下位」と聞くと心配だし、「それじゃあ勝てねえよ」と感じたりもする。

でも、大学職員は教務、キャリア支援、企画広報等、皆さん優秀で親切。先生方もすごい人ばかり。学生も鍛え甲斐があるし、「先生、この間、電車で寝過ごしたでしょ?」とか言ってきて可愛い。

文化放送も決して悪くはなかったけど、今の大学も小粒ながら良い職場というのが本音。今では、時折、国会に取材に行き、滋賀名物「飛び出しとび太くん」を見かけると、嬉しくなっちゃう。

まあ、滋賀は寒いし、大学っちゅうところは会議が多いので、そこは勘弁してほしいのだけど、教職員の皆さんと力を合わせて頑張るよ。震災事故から13年目の去年決めた転職、ゼロから始めた被災地の皆さんに負けないよう、東京(埼玉)と京都(滋賀)を舞台に何か1つでも結実させたい🍒。
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