文化放送生活、あと2日…

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 マスメディアからアカデミアの世界にシフトチェンジするにあたり、モノだけでなく頭の中も整理していると、色々な思い出がよみがえってくる。写真は、2006年春~2013年秋まで、愛媛・南海放送でコメンテーターをさせてもらっていた頃の1枚。木藤隆雄さん、月岡瞳さん…懐かしい。

 文化放送での最初の職場は夜の若者向け番組。早見優さんとか男闘呼組とか…。それが報道部に異動になってベルリンに駐在し、湾岸戦争ではイラク国境で兵士に囲まれて銃口を向けられるハメになるとは。

 アメリカ大統領選挙取材は、1992年のブッシュ父vsクリントンを皮切りに5回。留学までさせてもらい、韓国大統領選挙やユーゴ紛争、9・11同時テロ、歴史的な米朝首脳会談まで現地取材できた。

 1990年代はバブルが弾けて以降も予算が潤沢で、企画書を書けばどこへでも行かせてもらえる良い時代だったなー。21世紀に入ってもヒラリーの選挙スタッフやったりロンドン五輪の取材もしたり…。

 文化放送や一緒に働いてきた仲間には感謝しかない。30代から40代にかけての主戦場は国会。歴代総理や与野党議員に何度も取材できたことが、後に執筆とかニュースの解説に役立った気がする。

 テレビは数回だけどラジオは1500回以上出演しただろうか。著書52冊というのは一般給与所得者では日本一。中に45万部という人気シリーズまで生まれたのは幸運だったとしか言いようがない。

 ラジオも、聴取率でTBSとニッポン放送には負け続けていたのだけど、チーフPを務めた「SAKIDORI!」では、TBSに5勝(14敗)、ニッポン放送には15勝(4分け)できた。

 私自身も45歳で早稲田大学の修士課程、52歳で京都大学の博士課程で学び直し、お金もかかったけど、文化放送以外に友人が増えたことは大きな財産。(写真:手嶋龍一先生の授業後)

 ラジオと執筆の仕事を中心に、大学の非常勤講師(写真:大妻女子大学)や各地での講演、他局への出演と、どれも自分なりに全力で取り組んできた年月…。まあ、悔いはないな。社員としてはきょうを除けばあと2日、明日は、振り返りの後編をアップするね。

 

 

 

 

 

 

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